2008年8月4日月曜日

愛おしい子供達の理科教室


小学生三人組


決して飛ばさないジャンボジェット


今年の新作:クラッシック

 子供達が、色々ある中から選ぶ紙飛行機は、その子が作るには少しい傾向がある。しかしそれを作り上げたとき、その子の苦労が大きい程、子供の笑顔は輝く。苦労して何かを成し遂げる成功体験は子供に自信とやる気を育み、成長の糧になっているに違いない。またその笑顔には周りの大人も元気づけられる。 工学院大学の理科教室には、2001年の夏から「紙飛行機」で参加するようになった。8年前のことだ。工学院大学は、子供達の理科離れを防ごうと、毎年8月下旬の土日にこの催しを始め、今年は15回目になる。 誇らしげに紙飛行機を前に抱いて、ポーズを取っている子供達のデジカメの写真が何枚かあるが、どれも魅力的だ。その中で、私が特に気に入っている写真がある。2年前の写真で、手にしている黄色い紙飛行機には「れおくんゴー」と描かれている。まだ幼稚園児の様だが、誇らしげで嬉しそうなその子の表情は実に愛くるしい。そのため長い間、私はその子が女の子だと勘違いしていた。名前とTシャツの骸骨の図柄から、男の子だと他の先生から指摘されて気が付いた。残念ながらその写真をここで紹介できない。連れのお母さんにWeb利用の許可を取っていなかったことが悔まれる。もしこのWebを見られたら、是非ご連絡を頂きたい。

 あるとき小学校3年生位の3人組の子供が、理科教室の「紙飛行機」にやってきた。約10種類ある紙飛行機の中から、3人とも作るのが一番難しい「ジャンボジェット」を作りたいと言う。私はこの子達にはジャンボジェットは無理だと思い、既に紙から全ての部品を切り取って、後は接着剤で組み立てるだけになっている他の飛行機のセットを特別にあげるからそれにしなさいと勧めた。一人の子は少し考えてから、私の提案に同意した。それでもその子は簡単にその紙飛行機を作れた訳ではなかった。しかし他の二人は、「ジャンボジェット」に固執し、可成りの時間を掛けて、やっとの思いで作り上げた。3人とも大いに満足して帰っていったが、しばらくして、紙飛行機の2階の会場から中庭で遊ぶその3人を見つけた。3人とも自分の作った飛行機を振り回しながら、しかし大事そうに持っていた。その内、一人の子が飛行機を投げたけれど、何時までもただ振り上げるだけで、決して投げない二人の飛行機は「ジャンボジェット」だったのだ。二人は飛ばして見たいとの強い気持ちを持っていた筈だったけれど、飛ばしたら、どこかに当たって壊れるかも知れない心配で、飛ばせなかったのだろう。それほどに、紙飛行機に思いを寄せてくれた子供達が本当に可愛い。

 理科教室に参加するようになってから、Webで様々な紙飛行機があることを知るようになった。それには、実物そっくりで滑空をしない紙の模型と、滑空時間を競う競技用の平らな胴体をした紙飛行機がある。私の紙飛行機はその中間のもので、競技用の紙飛行機ほどではないが良く飛び、しかし立体的な胴体の紙飛行機である。A3の一枚の厚紙に一機分の紙飛行機の全ての部品が印刷されており、それを切り抜いて組み立てる。理科教室への参加を誘われたとき、喜ばれるテーマは、お土産を持ち帰れることと、できたらそのお土産が、子供の夏休みの宿題の足しになることだと聞かされた。昔の子供の雑誌には、良く紙の工作が付録に付いていた。そのイメージで自分の専門とは関係なく、この様な紙飛行機を始めた。そして、いろいろな紙飛行機をデザインするためにWebで飛行機に関して調べる様になった。そのお陰で、それまで気付いていなかったり、思い違いをしていた様々なことを知る切っ掛けになった。例えば、飛行機の主翼の断面の形が揚力を作る理由について、私が子供の頃に聞かされていた説明は実は誤りであった。また主翼の細長いグライダーや旅客機は、水平尾翼は小さくても良いが、垂直尾翼は大きくなくてはならないことなどである。子供達に楽しんで貰おうとしていることで、私も結構楽しんできた。 今年度を最後に私は定年を迎えるので、今年の夏の理科教室は最後の参加になる。今年の新作を加えると13種類の紙飛行機が揃った。

2008年5月4日日曜日

Jet Stream(工学院大学バージョン)


昔FM深夜放送で良く聞いていたジェットストリームを、
実際に受信した放送の録音を手に入れる機会がありました。
胸が震えるほど、懐かしさを感じました。

これに重ねて、
工学院大学の高層ビルから眺める夜の景色の
ナレーションを作りました。
パクリではなく、パロディーのような新しい創作と、
本人は粋がっております。

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『ビルの輪郭が消えて
深々とした夜の闇に街が覆われるとき、
はるか高層の、ビルから眺める地上の銀河は、
たゆみない人々の営みを告げています。
砂粒のような窓明かりを散りばめた、果てしない東京の街を
ゆったりと見渡す この景色に心を開けば、
光の数ほど、人生の多さが伝わってくる
無言の夜景の何と饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えて行った
遠くのビルの輪郭も瞼に浮かんで参ります

夕方から高層ビルの角に点滅する赤いランプは
夜が深まるにつれて次第に、
ビルの輪郭を現す星座のようになります。
今、目の前に広がっている全ての明かりの下に
限りない幸せが訪れますように。』


ジェットストリームのナレーションは下のURLで
見ることが出来ます。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/nyanko/jetstream_top.htm

工学院大学の怖い話(2004年5月)





工学院大学電気電子情報同窓会HPから転載
http://www2.kogakuin.or.jp/denki/denki_old/ 

 怖いお話しです.
 本学八王子校地内に,小さな祠があります.
 何でも,元は5号館の建っている場所にあったのだそうです.
 それを潰して5号館の工事を始めたら,
 なんと祟りがあって,工事中に大きな事故があったのです.
 そこで祠を作り直して,八王子のグランドの隅に祀(ま)ったのです.
 しかし体育館新築とグランドの整備に際して,さらに移転しました.
 その祠は八王子校地のどこか人目のつかない所にあるそうです.

 私はこの話を友人から聞いておりました.しかし元の場所を現在取り壊した学寮のあった場所と勘違いしておりました.そして学寮を建設するときに事故があったと,人に話たりもしていたのです.友人に改めて聞き直したり,古くから勤めておられる事務の方に聞いたりすると,毎年暮れに祭礼行事をしているとのことです.
 八王子に行ったついでに,実際に見てきました.かなり遠くまで登り下りの山道を歩いて参りました.グランドの奥の斜面を降りると,学生の駐車場があります.出口の道を横断してさらに大学の校地があります.山道を少し登って,さらに奥へ下り公道に出る直前にその祠がありました.木で作られた祠を期待していましたが,写真のようにミカゲ石の小さい社(やしろ)でした.

 祟(たた)りなんて,真っ赤な嘘です.人の噂を簡単に信じてはいけません.
 八王子の池田司郎事務部長に,この祠のことを伺いました.これは金比羅様だそうです.昭和60年から毎年,祭礼行事を行っているとのことです.池田部長から頂いた「金比羅社祭礼進行」と題する文書には,昨年とり行われた行事進行が書かれ,金比羅社の由来が記載されておりました.
 そもそもこの金比羅社は,工学院大学が八王子校地を購入する前からこの丘の上の雑木林に,朽ち果てかけた小さな祠として昔からあったのです.それは5号館の場所ではなく,今はグランドになっているところです.昭和38年に八王子校舎を開校した本学が,校地造成工事をする際に,現在の場所に移設しました.そして昭和39年7月20日に入魂式を執り行ったのです.本学の新宿校地再開発に先駆けて,昭和60年頃,5号館の工事を始めました.その際に事故があったのは確かな様です.それが切っ掛けになったのかも知れませんが,「建設の無事竣工と八王子校地の平安と発展」を願って,金比羅社を新しい祠に再建し,昭和60年12月24日に八王子市の子安神社の宮司による修祓式を執り行ないました.
 そのときから,この12月24日を祭礼日と定め,八王子校舎関係者によるお参りが続けられてきました.昨年は池田事務部長,淀川常務理事,中山学生部長,清水中学高校事務長,(仮称)SMBC新築工事関係者,SMBC新築施工担当の前田建設工業(株)西田所長などがご参加されております.

 道祖神や祠などを大事にする風潮は,日本の特に建設関係の方々には根強くあるようです.本学もその習わしに従ったのでしょう.しかし,本来は理屈っぽい人が集まりやすい工科系単科大学の本学に,専属の守り神がおられるということは,何と心強いことでしょう.

都知事に感謝(2004年5月)




工学院大学電気電子情報同窓会HPから転載
http://www2.kogakuin.or.jp/denki/denki_old/ 

 ここに3枚の写真があります.どれも工学院大学新宿校舎の23階北側の研究室の窓から,池袋のサンシャインビル方向を眺めた写真です.
 「東京のスモッグがよく見える日」というタイトルで,冬の寒い快晴の朝に見られる逆転層の写真をご披露しました.ところが平成16年の冬に,地表を這うスモッグの空気の層が見えなくなったことに気付きました.替わりに筑波山が見えるようになったのです.この現象に気づいたのは平成16年の2月頃でした.その頃初めて筑波山を見たときは,シャッターチャンスだと思って撮りました.その後,晴れているときには殆ど見えることが分かりました.夕暮れ時や,雲がある日には,以前は絶対に筑波山が見えませんでしが,今は見えるときもあります.

 この現象の原因として思い当たるのは,勿論,平成15年10月に施行されたディーゼル車の規制しかありません.人にこの話をすると,「確かに今年になって,東京の空気がきれいになってきたような気がする」という方がおられます.都知事に感謝したい気になるではありませんか.

松風の少女(2003年4月)


松風の少女
「松風のしらべ」:赤川政由作
1999年工学院大学後援会寄贈
(後援会50周年記念)



松風の少女2


松風舎でのパーティー

工学院大学電気電子情報同窓会HPから転載
http://www2.kogakuin.or.jp/denki/denki_old/

 一人の少女を紹介したい.
 工学院大学の八王子校地の斜面を登って最も高いところに行くと彼女に会える.
 松風舎(しょうふうしゃ)は八王子校舎の丘の頂上にある宿泊施設だ.
 普段,この建物は静寂そのものだ.
 彼女はいつもたった一人だけれど,笑顔を絶やすことが無い.
 彼女はいつも楽しそうにブロンズのヴァイオリンを奏でている.
 私にはそれが,寺井尚子のジャズに聞こえる.
 たまにここで研究室やクラブのパーティーが開かれるとき,松風舎は賑やかだ.
 そんなとき,彼女の演奏は冴えわたる.
 そのときの嬉しそうで得意げな笑みを,私は見たことがある.

 彼女に会いたければ,君も丘の頂上に登ってみるといい.
 静寂の中で彼女の無音のしらべを聞いていると,清々しい気持ちになれる.
 もし彼女が君にウィンクしてくれたら,君はその日一日幸せだ.

動かない歩道(2002年3月)


動かない歩道1


動かない歩道2


歩道の主張

工学院大学電気電子情報同窓会HPから転載
http://www2.kogakuin.or.jp/denki/denki_old/ 

 歩道は動かなくて当たり前です.しかし…….
 電気ひげ剃りや洗濯機,自動車,電車,エレベータ,エスカレータなどがもし動かなかったら,それは通常の状況でないことを意味します.本来,歩道は動かなくて当たり前だったのですが,最近,空港や大きな駅の構内等に動く歩道を見かけるようになり,「動かない歩道」とは,故障して動かなくなったり,あるいは動かない時間帯の「動く歩道」を意味するようになりました.
 初めて動く歩道を利用したとき,何か得をしたような感動がありました.しかし人の性とは欲張りなもので,毎日動く歩道を利用するとそのときの感動は薄れ,動く歩道がそこにあるのが当たり前になってしまいます.そして動かない時間帯に出会うと,つい腹立たしくなってしまします. 人が速やかに現状に慣れて,現状と比較してものを感じるのは素晴らしい能力です.これが正常に機能していれば,破格の幸せが不意に訪れても平衡感覚を失わずに生活でき,また失意のどん底にあっても直ぐに希望を見いだして努力することができるのです.しかし余りに急激で,かつ大きすぎる落差に適応するのは,なかなか難しいようです. 平日の朝の9時前や,土曜日などに,止まっている「動く歩道」の脇を大勢の人が歩いているのを見ると,私は腹立たしくなって,この施設の管理に問題があるのではないかと,つい考えてしまいます.サービス部門は現在の体制で何ができるかを考えるのではなく,どうすれば必要なサービスを実行できるかを考えるべきだとか,そのために何にも増して,先ず顧客の実体を把握し,顧客のニーズを知ることだとか….しかし教職に就いている自分に振り替ってみると,大学の対応にはまだまだ努力が必要ではないか反省させられてしまうのです. 誤解をしないで頂きたいのですが,私は決して文句を言いたいのではありません.兎に角,動かない歩道は様々なことを考えさせ,深い思索に私たちを導いてくれます.また歩くことは体に良いのです.それらのことに感謝こそすれ,決して恨むべきではないと考えているのです.
 JRの新宿駅西口から京王プラザホテルまでの地下道にこの「動く歩道」が設置されたのは約5年程前だったかと思います.その当時はホームレスを追い出すために計画したのではないかと批判されたこともありました. 朝この歩道を利用していますと,女性の優しい声で「乗り降りの祭は足下にお気をつけて下さい.」と「"Pleas, watch your step!" 」のアナウンスが小さな音で聞こえてきます.うっとりとしていると突然,男性の大きな声で「こちらは新宿警察署です.この地下道は大切な……」というアナウンスに驚かされます.アナウンスの訓練を受けた人の声ではありますが,突然警察署といわれてビックリさせられ,眠気を覚ましてくれるのです.しかしたまに,普通のオッサンのダミ声で「こちらは東京都○○建設事務所です云々……」とアナウンスをされると,「何だ!この場違いな声は!」と呆れさせられることもありますが,それもまた愉快ではありませんか.

2008年4月25日金曜日

東京のスモッグが鮮明に見える日(2001年2月)

 
9:00                13:30

 (写真は2000/2/03のものです.)


工学院大学電気電子情報同窓会HPから転載

http://www2.kogakuin.or.jp/denki/denki_old/

 
 寒い冬の朝には,工学院大学の高層棟から東京のスモッグが鮮明に見えます.  冬の晴れた日の明け方には地面が強く冷やされます.日が出て大気が暖められ始めても,地表近くの空気は,冷えた大地のために温度が直ぐには上昇しないのです.そのため地表の温度が上層の温度より低くなることがあります.通常の大気は上層に行くほど気圧の減少に伴って気温が低くなっており,地表で暖められた空気は軽くなって上昇します.しかし上層の方が温度の高い状態を逆転層いうそうですが,この状態では地表の空気が対流によって攪拌されなくなります.朝になって,人々が活動を始め自動車が動き出して排気ガスを出ますが,それが拡散されずに,濃いタール色をしたスモッグの層が,地表を覆ってしまうのです.写真は新宿の工学院大学高層棟から池袋サンシャインを眺めた景色です.時間とともにスモッグは拡散し,見えなくなります. この現象を最初に私達に紹介し,解説してくれた方は本学情報工学科の三好和憲教授です.教授は本学で最も博識な先生のお一人です. このスモッグを見る度に,私たちの健康が心配になります.