2013年6月23日日曜日

牛蒡の花


出来たばかりの都道
 
薹が立ったゴボウ

トミー倶楽部体験農園

ゴボウの花

ゴボウの花のアップ

大根の花

人参の花

キャベツの花

リーフレタスの花

 ある晴れた日に、自宅近くの広い畑に面した立派な通りを、私は愛犬を連れて散歩していた。その道は、片側2車線、歩道と自転車道が別れていて、街路樹も整っている。完成してから日も浅いので、人通りも、自転車や自動車も少なく、ユッタリと歩ける気持ちの良い道である。

 前を歩いていた老夫婦のご主人が畑の方を指さして、「あれはゴボウだよ。もっともあんなに大きくなってしまっては、地下のゴボウは食べられたもんじゃないがなぁー。」と、奥さんに話し掛けているのが聞こえた。畑の一角に、まだ花は咲いていないが、立派な花芽を沢山つけた背の高い植物が、灌木のように植わっていた。私は、大根や人参、キャベツまでもが、収穫をせずに育てると、薹(とう:花芽を付ける茎)が伸びてきて、菜の花のように花を咲をかせることを知っていた。しかし、ゴボウはその形状が似ている山芋のように、芋で増える植物だと思い込んでいたので、ビックリした。確かにゴボウは芋のような澱粉質の食感ではなく、寧ろ大根や人参に似ている。そのゴボウは、後日アザミに似た紫の花を咲かせた。

 茎と、茎から生えている上の方の葉っぱを無視して、地面近くの葉っぱだけに着目すると、一昨年の春に作付けしたゴボウの葉っぱに似ている。そしてゴボウを植えたのではなく、人参と同じように種を蒔いたのを思い出した。実はこの広い畑は「トミー倶楽部」と言う体験農園である。私は3年前からここに参加して、今年は4年目になる。ここは、指導付きで、野菜作りを体験できる。様々な農具、種や苗、その他、堆肥や化学肥料も用意してあって、何も知らなくても、始めた年から立派な野菜が収穫出来るのが嬉しい。参加者は東西に約10メートル、南北に約2.9メートルの区画を分けられ、南北方向に作った約10の畝に、それぞれ同じ野菜を育てる。それが全部で約110区画もある。作付けの計画は、連作を嫌う野菜があり、難しいらしいが、園主(農園経営者)が考えてくれる。この畑では、整然と同じ野菜を規則的に作っているので外観が綺麗だ。しかしよく見ると、同じ条件で育てている筈なのに、微妙に出来不出来があって面白い。

 その園主が偶然にも、やはり愛犬を連れて散歩しながら、反対側からやってきた。私はこの植物を確認したくて、弾む気持ちで質問すると、「そうです。これはゴボウです。」と答えて、さらに「皆さんに見て貰おうと思って、収穫せずにそのままにしておいたのです。」とのこと。その瞬間、ある確信が突然に込み上げてきた。少し大袈裟かも知れないが、既に色々と分かっていることが一つにつながって、普遍化した全体像を実感として理解出来た瞬間である。

 それは、言ってみれば当たり前のことなのだけれど、食用植物の収穫時期は先天的に決まっているのではなく、美味しいと感じる時期を人が収穫時期と決めているということだ。私はそれまで、最適な収穫時期は自然現象として決まっていると感じていた。果物や芋類を考えて見ると、果物は動物に食べられることで種族の維持を図っている。その果実の中の種が熟す時期に目立つように色付き、甘い香りを放ち、動物にその存在を訴える。山芋、サツマイモ、じゃが芋などは、次に育つ芽の栄養分を芋として蓄え、種の保存を計る。地上の茎や葉が枯れてから、つぎの芽が成長を始める前に芋を収穫すれば、美味しく食べることができる。植物の一世代の終わりや、一シーズンの終わりが食べるのに適した時期であることが普通で、筍(タケノコ)や、野草の蕗の薹(フキノトウ)や、モヤシなどは、数少ない例外だと思っていた。

 ところが、例えばキュウリは成長が早くて、放っておくと、苦みと酸味の強くて、中には堅い種が入った黄色い実になるそうだ。我々が食べるキュウリにも種はあるけれど未熟で柔らかく美味しい。植物の実としては未だ熟れていない実なのだ。大豆は熟した種であるが、未熟な内に収穫し、簡単に茹でて、柔らかい豆を食べるのを枝豆と呼んでいる。それに適した品種改良が施されてはいるだろうが、当然ながら、枝豆は収穫時期を遅らせれると、もとの大豆になる。大根、人参、レタス、キャベツなども、放っておけば直ぐに薹(トウ)が立ち、堅くて美味しくなくなる。体験農園に参加して、それらの花を見る機会もあり、また収穫時期を過ぎて堅くてひび割れした人参等を掘り起こしたこともある。それでも、植物として熟成する前に収穫して食べるのは例外だと思っていた。しかしゴボウまでもが、薹が立つ野菜であり、花が咲くより可成り早い時期に収穫すると知った瞬間に、やっと私はどちらが例外であるかに気付き、人が収穫時期を決めていることを深く実感した。振り返ると、農園の講習会の話を聞いているので、もっと早く気付くべきだと思った。キュウリ、ズッキーニ、レタス、枝豆など、多くの野菜に関し、園主は常に八百屋の野菜より少し早めの収穫をし、そのため収量を少し減らしても、美味しい野菜を食べることを勧めてきた。農園に参加したからこそ出来るそのような贅沢を味わって欲しいとも言われた。

 私がこの体験農園に参加した動機は、農作業が好きだったからではない。美味しい野菜が食べられることは参加してから実感したのだし、運動不足を少し補うことになるのは付随する結果であって、目的ではなかった。その畑には、講習会のために作られた大きなビニールハウスがあり、その中で楽しそうに飲み会をしている元気な老人や若者の集まりが魅力だった。また現役時代、私は自宅には寝に帰るだけで、ご近所や地域の方々との付き合いは殆どなかったが、そのような機会が持てることの期待もあった。参加している農園の方々からも、そのようなことが動機だと聞くことがある。しかし現役のときには、農園に参加するための時間を取る自信がなかった。

 動機はともかく、わたしが農園に参加して最も満足していることは、この収穫時期のように、今まで意識していなかったことに気が付くような、そんな瞬間に出会うことである。わたしがこの農園で得た知識は、全て体験がベースである。講習会で教わったことは、全て体験して実感する。また農園で体験したことから気が付いたり、あるいは体験に基づいた自分の推測を園主に聞いて確認して知識となる。素晴らしいシステムだ。3年前の最初の講義で、野菜が育つための重要な3つの要素は、水と光と空気だと教わった。畑を平らにして水捌けを良くし、日当たりが良く、そして風通しの良いことが、野菜にとっては重要な環境の条件である。もし、水と光と言われた後で、3つ目は何かと聞かれれば、普通は肥料と答えたくなる。しかし今では、何故空気なのかが、実感として分かる。トマト、ズッキーニ、キュウリなどは、地面近くの葉っぱが重なり合うと、風通しが悪くなり、病気にやられたり、虫がつき易くなる。トマトは全ての脇目を摘んで、全体の風通しを良くする必要がある。今年の私のズッキーニは調子が良い。しかし、ズッキーニは過去3回の内、2回も、途中で病気にやられた。小さな実の付いた花芽が勿体なくて、キュウリの下の方の脇目を少し長めに延ばしてしまうので、私のキュウリは今年も風通しが悪く、葉っぱの変色が気になる。新しく蒔いた野菜の種は、芽が出始めたときに、鳥に狙われるので、何かで覆う必要がある。また野菜の世話にあたっては、最初から農薬の知識も欠かせない。農薬はタイミングを選んで、適切に施せば、少ない農薬で大きな効果が得られる。そして農薬には、葉や茎の表面を保護したり丈夫にして病気予防をするものと、細菌に対する消毒薬と、虫を退治する殺虫剤など、3系統のものがある。殺虫剤は毛虫や芋虫には効くが、卵には無効だ。卵がかえるまでの時間を考えて、殺虫剤の使用は1週間間隔で2回は散布する必要がある。これらの作業や体験を始めて、畑に関する色々ことが分かってから、あるとき、「畑は戦場だ」という認識に至った。野菜と競合する他の植物としての雑草は、人がこまめにこれを摘み取る。人が収穫時期の野菜を獲得するには、様々な敵と対峙する必要がある。他の植物、細菌、虫、及び小動物である。畑で展開されるのは、これらとの生存競争である。関連する様々な知識から、より抽象的な認識に到達する瞬間は楽しい。

2010年8月13日金曜日



 夢という言葉に、漠然と楽しいことや希望を思い描ける人は、
少し楽天的であると言えるでしょうか。人は少し楽天的な方が、
精神的には健康であるという言葉を聞いたことがあります。その
言葉を気に入って、覚えている私も少し楽天的かも知れません。
 夢の本来の意味は寝ているときに見る夢です。人は睡眠中に目
を頻繁に動かす時期が何回かあって、その状態をREM(rapid
eye movement) 睡眠といいます。その時に人は夢を見ているので
す。REM睡眠中に人を起こすと、そのときに見ていた夢を語り
ますが、REMを過ぎた後で起こすと、人は夢を覚えていません。
人が自覚できるのは、起きがけの夢のみです。
 脳が知的活動をする上で、生理的に夢が必要なのであろうと考
えられますが、どのように夢が役立っているかについては、知的
活動の原理と共に大変魅力的な謎です。

 私たちが夢を見ているとき、その時点で見えていることは現実
ではないので、まだ実現されていない期待や望みを「夢」という
言葉で語られます。したがって、直ぐに実現されそうなことは夢
とは言い難いものになります。夢は叶った瞬間に夢ではなくなる
ようです。人が夢を求めて努力しているとすれば、全ての夢がも
し叶ってしまったら生きる目標を見失うことになります。しかし、
幸いかどうか分かりませんが、人の欲望には限りがありません。
一つの夢が叶うと、普通の人は、また新たな別の夢を懐くので、
元気に生き続けることができます。しかしあまりにも欲張って、
夢を沢山持つと、多すぎる夢がストレスとなり、生きることが不
自由になります。そんな人には煩悩を捨てなさいとの教えもあり
ます。何事も中庸が肝要です。

 田舎でゆっくりとした時間の中で、精神的に豊に暮らしたいと
いう憧れを、私は持っています。しかし都会に慣れた者にとって、
田舎での生活には、困ることが多々ありそうです。それが理由で、
家内は断固反対なのです。ささやかではありますが、これは私に
とって夢であり続けるでしょう。
 夢は期待や望みなどの良いイメージを多く表します。望んでも
見なかったな幸せが巡ってきたとき、「夢のようだ」と表現され
ます。しかし夢には、現実ではないというマイナスのイメージも
あり、「夢みたい」なことばかりを語る人は、荒唐無稽で非現実
的な夢想家と評価されます。

 私たちが寝ているときに見る夢は、楽しいことばかりではあり
ません。怖い夢や、悲しい夢も見ます。人は見たくはない恐ろし
い夢を、何故繰り返し見ることがあるのでしょうか。大学の卒業
がかかった学期末定期試験で落第点を取る夢を繰り返しみるとい
う人の話を聞いたことがあります。このトラウマのような悪夢は、
二度と同じ過ちを繰り返さないための罰なのでしょうか。
 実は私には、子供の頃から引きずっている悪夢があります。大
人になるに従って、その怖さの内容が変化しているのです。私が
子供時代を過ごした自宅は、中央線沿線の駅前の商店街にありま
した。毎年、近くの神社で秋祭りがあり、小遣いを貰って神社の
出店を歩くのが楽しみでした。祭りには、我が家が属する商店街
からも、神輿が繰り出されました。それは大人だけのもので、子
供は山車を引くものと決まっていました。子供専用の神輿が作ら
れたのは、私が大人になってからでした。

 神輿というと、多くの人は陽気な雰囲気を連想されると思いま
す。しかし私が見ていたのは陰気で凄みのある神輿でした。自宅
商店の2階の窓から神輿を覗き見ることは、神様に対し不敬であ
り、してはいけないと言い聞かされておりました。そのことは、
大人しか担げない神輿に畏怖の念を抱かせるには十分でした。担
ぎ始めの神輿を見ると、赤ら顔の大人達は楽しそうに陽気に担い
でいました。しかし練り歩いたあとで戻ってきた神輿は、誰もが
顔面蒼白で、放心状態の様であったり、苦しそうに眉間にしわを
寄せていたりしていたのです。発する声は、決して「ワッショイ!
ワッショイ!」ではなく、「ウッセ!ウッセ!」と低く沈んだ声
でした。担ぎ手はすでに十分に酒を飲んでいて、神輿の奇跡はあ
っちへフラフラ、こっちにフラフラという状態です。神輿の進行
をリードする3,4人程の付き添いは皆シラフであり、大きな内
輪で担ぎ手を扇いだり、水を掛けたり、細々と世話をしておりま
した。しかし、その人たちの一番大事な仕事は、時折り、神輿が
グラッと傾いて、突然その方向に突っ込むのを全員で反対に押し
返して、必死に止めることでした。暴走する先にあるのはガラス
のウィンドウなどがある商店だったのです。いつ事故があっても
おかしくないような神輿を、怖い物見たさで遠くから眺めていま
した。しかし私は一度もそのような事故を見たことはありません
でしたが、「○○屋さんに神輿が突っ込んだ」という噂を聞くこ
とはありました。その噂には、「○○屋は、祭りの寄付が少なか
ったらしい」という解説が尤もらしく付いていました。ときたま
思い出される神輿は、子供の頃の私にとって悪夢のような怖いも
のでした。他所で陽気な普通の神輿をみることもありましたが、
何故か本物の神輿ではないと思ってしまうのです。その恐ろしい
神輿に、私は誇りさえ感じていたのです。

 高校や大学時代には、さすがに神輿が怖いという悪夢からは解
放されました。しかし、彼らは何が楽しくて神輿を担ぐのか理解
出来ず、私に取って神輿は眺めるモノであり、決して自ら担ぎ手
となって参加しようと思ったこともありませんでした。
 大人になって、人間関係や組織の狭間で多少のストレスを感じ
るようになったとき、突然にその悪夢が甦ったのです。凄みを帯
びた神輿の様子が実にリアルに思い出されました。多くの担ぎ手
は、担ぐと言うよりは、反対方向から寄りかかっているだけで、
辛うじて保たれるバランスによって倒れないでいるのです。中に
はぶら下がって、力なく伸ばした足が地面を滑っている人まで居
たのです。陶酔しているが、しかし担ぐことへの真剣さはヒシヒ
シと伝わってくる様子に、どこか惹かれるものも感じます。また
このような神輿は、不安定に見えても実は案外安定しているのか
も知れないと考えたこともありました。しかし結局は陰気な神輿
は再び怖い悪夢となりました。

 組織運営などで、ストレスを抱えている人の愚痴を聞くとき、
悪夢の神輿を語ったことがありました。そのとき、誰もが引き込
まれるように聞き入って、大きく頷くのです。

2010年8月4日水曜日

懐かしさ


都立武蔵丘高校のクヌギ林(H22/8/17撮影)


 (都立武蔵丘高校創立70周年記念同窓会誌に寄稿)

 高校の同期会に初めて参加した。そのときから、同期の友人や母校など
が、無性に懐かしく心に浮かぶようになった。高校の景色で、真っ先に思
い浮かぶのは、落葉した高木(こうぼく)の林である。寒風吹きすさぶ真
っ青な空に、どこまでも細かく入り組んだ枝の線画、遠くからもクッキリ
と見えるその勇姿は、回りを圧倒していた。落葉した林の王者は、なんと
いっても欅(けやき)である。私は母校の林をてっきり欅だと長い間思い
込んできた。その林は、ときには繊細に季節を映し出していた。パステル
カラーの新緑の梢、優しく広い日陰を作る色濃く生い茂った枝、秋を彩る
林、それらはグランドに出ると必ず目に入った。この林から、さまざまな
高校時代の様子を思い描いている内に、欅の滑らかで堅い幹に違和感を覚
え、その林が欅ではなかったかもと、気になりだした。どうしても林を確
認したくなり、猛暑だったにも拘わらず、約50年ぶりに母校に行って、
懐かしい林に再会した。そして人の記憶には当てににならない部分がある
ことを痛感した。それはクヌギ林だったのである。

 すべての感情は、人に適切な行動を促したり、何らかの役に立っている
と私は思う。人は懐かしさに惹かれ、求め、癒されるが、懐かしいと思う
感情は何の役に立っているのだろうか。出会った昔の仲間を懐かしく思い、
お互いを信頼し協力する関係が築きやすくなるなら、懐かしさはグループ
の結束に役立っている。懐かしいという感情を抱く対象は、遠い過去の事
柄である。しかし過去のことであっても、ずっと現在まで継続しているこ
とを懐かしいとは思わない。懐かしい父母は、別れて久しいときの思いだ
ろう。そして、過去のある時点のみの事柄ではなく、長期に継続して接し
ていたり、行なってきたことが懐かしい。そして、楽しかったり幸せだっ
た過去を懐かしく思い出す。しかし、辛かったり思い出したくない過去で
さえも、十分な時間経過の後に、辛さ、悲しみなどが薄れ、楽しかったこ
とのみが思い出され、懐かしむことがある。

 いまは公害に悩んでいるが、昔は自然に恵まれていたという地域を想像
しよう。そに住む人が、昔の故郷を懐かしく思い、自然を取り戻す運動の
強力な動機付けになるなら、懐かしさは人を良い方向に導くことになる。
逆に否定すべき過去の場合でも、過去の状態を求める訳ではないが、単に
思い出として懐かしむことがある。私は子供の頃、軍隊での体験話を聞く
機会が何回かあった。話し手にとっては二度と経験したくないことなのだ
が、辛い中での僅かな楽しみや息抜きを、とても懐かしそうに話していた。
実話であることの迫力に圧倒されて、私も夢中になって聞いたが、本人も
子供の私に進んで話してくれた。今、現実に起こっている出来事は、どん
なに辛くても、つぎつぎと気持ちを整理して受け入れないと、我々は生き
て行けない。しかし、そのための心の負担が大きいので、直ちに心を整理
しなくても良いことは後回しにされて、無意識下に時間を掛けて、記憶に
メリハリをつけたり、出来事の意味づけや認識を再構築して、受け入れや
すい内容に浄化させるのだ。辛かったことの記憶はやがて薄れ、楽しいこ
とは何時までも覚えている。辛かったはずのことをいざ思い出してみると、
意外とそれ程でもなく、記憶は描き直されている。無意識の下に自分の心
が勝手にやってしまっていることを、我々は自覚できない。そんな落差が
懐かしさを作りだすのではないだろうか。そして懐かしさは、愛しい記憶
を思い出すことを促す。

 現在は過去からつながっている。しかし、もし過去が受け入れられない
場合、現在を前向きに生きられなくなる。現在を前向きに生きるのに役立
つならば、記憶の浄化も悪くはない。

2010年6月16日水曜日

中学校の同期会


            息子達が幼いとき、豆まき用に作ったお面




 これまでごく希に開催されてきた高校の同期会に、先月初めて出席し、同期生との再会を楽しんだ。会場へ着くまでの間、抱き続けていた戸惑いと気後れの主な原因は、私が高校時代を根暗に過ごしたからに違いない。高校時代の記憶は僅かしかないと思っていた。大学受験や将来の就職への漠然とした不安を常に感じ続けていたあの時代には、楽しい思い出が少なかったので、無意識に忘れようとして来たのかも知れない。しかし同期の友人に実際に会ってみると、会話に触発されて、少しずつではあるが高校時代の多くの出来事が不思議と思い出される。無性に懐かしい。長い熟成の時を経て、マイルドになった記憶を味わうのは心地よかった。高校の同期会に出席するためにメールで連絡していたとき、ある同期生から中学の同期会が初めて開かれることを知らされ、参加を強く勧められた。彼とは中学も一緒で、根暗の私と異なり、明るいスポーツマンであり、私にとっては眩しい存在だった。そんな彼が私を覚えていてくれたことに感謝と義理を感じ、中学校の同期会開催の発起人代表に連絡をとった。



 間もなく発起人代表から、打合せ会出席への誘いの封筒が届き、そこには中学のクラス毎の集合写真と、卒業生の名簿が同封されていた。私のアルバムはすでに紛失していて、その写真とは数十年ぶりの対面であった。写真の顔は小さいのでおぼろげなのに、それらを凝視していると、忘れていた何人かの名前と顔が鮮明に思い出される。そして、途方もなく懐かしさがこみ上げて来て、是非とも打合せ会に出席したいと思った。卒業した大学に教員として残り、その大学の同窓会活動に長年係わってきた私は、親睦も大切ではあるが、同窓会活動に参加する卒業生の重要な目的は直接の利害の方にあると思ってきた。卒業生が立派に活躍することが母校の名誉であり、母校が発展することは卒業生の誇りとなる。そして同窓会を通じての人脈や情報は仕事の上でも役に立つ。中学、高校の同窓生が、純粋に親睦のみを目的として集うことを、普通の人とは逆に、私は訝しく思ってきた。懐かしい同級生が今していることに関心を持つのは当然なのに、自分も持っているその気持ちに、何か不純なものがあるように錯角していたことが、高校や中学の同期会参加へのハードルを高くしていた。

 同期会の打合せは地元阿佐ヶ谷の商店街(パールセンター)横で行われた。母が逝ってから、そこにはあまり立ち寄ることが無くなっていた。前回訪れたときも阿佐ヶ谷の変化に見違えたが、今回も更に変わっていた。東京の街はどこも激しく変わり続けている。自分が育った頃の故郷はそこにはない。私の思い出の記録は街にはなく、同期生との係わりにあると思う。中学時代に、学芸会で「泣いた赤鬼」の主役に抜擢されたことがあった。私の学校生活で、人から注目される機会を待ったのは、この1回きりであった。公演の後の楽屋で、顔に塗った赤いメーキャップを、憧れの女生徒に落としてもらったことが、長年大切にしてきた中学時代の数少ない思い出の一つだ。しかし打合せ会に出席し、恩師や同期生の名前を耳にする度に、予想以上に多くのことが思い出された。3年のときの担任で、明るくて熱心な英語の先生、当時の私が悩んでいた数学の問題に明確に答えてくれた若い数学の先生、大好きな図工の時間に、私の作品を見守ってくれていた美術の先生など…。ゆっくりと甦る記憶の多さに戸惑いながら、タイムカプセルにしまっておいたものに再会したような思いだった。歳を取ると、仕事を離れた付き合いは大切に思えてくる。私達は集まった同期生の今も知ることができ、新しい出会いを果たしたのだ。打合せの後の懇親会も終わって解散するとき、私の気持ちはまだ高揚していた。夜も遅くなっていたのに、相手の迷惑を敢えて考えずに、近くに住んでいる幼なじみの同期生に電話をした。彼とは20年以上も会っていない。たまたま彼は電話口に出てくれて、阿佐ヶ谷の駅前まで飛んできてくれた。本当は彼も打合せに参加するはずだったが、連絡に手違いがあったのだ。皆は帰ったのに、私の終電時刻が気になり始めたときにも、二人はまだ語り続けていた。

 次の打合せ会は7月14日(水)夕刻に予定されている。そして開催が待たれる同期会は、7月29日(木)午後2時から、阿佐ヶ谷の新東京会館で開かれる。私はそこで、更なる新しい出会いに期待をよせている。
 

 

阿佐ヶ谷中学校第8期同期会発起人代表は岡崎孝夫氏で、メールアドレスはつぎの通りです。
                  tkokazaki@nifty.com
 

 

 

高橋(旧姓:齋藤)静昭




2010年3月8日月曜日

私の最近のテーマ











 5,6年前から強く意識し始めた定年でした。そして思いは、現役時代から描いていて出来なかったこと、例えば解析学や統計学の独創的な自習教材の作成です。平面や立体図形による説明を多く取り入れるなら、図形のイメージを描ける人には極めて直視的で分かりやすい教材となる筈です。また、趣味の尺八演奏の猛特訓や、ポピュラー音楽の尺八譜による採譜、あるいは自前のホームページの作成、別荘での長期滞在など、これらは定年後に直ぐ実行できると思ってきました。
 しかし、定年間際は結構忙しかったのです。今年度を含めてあと3年は非常勤講師として教鞭を執りますが、授業は僅か週2,3回程度になりました。その分、買い物の手伝いや愛犬の散歩など、家庭サービスに時間を取られ、またなんと私の息子が二人とも、私の定年直後の年に結婚式を挙げたのです。お陰様で、夢に描いていたことの準備は滞り、また定年の感傷にひたる暇はありませんでした。何度も送別会を開いて頂いた大学、卒業生、後援会の皆々様、粗大ゴミ扱いをしないで私をこき使う家内や、親孝行の息子達に、大いに感謝しているところです。
 新しい生活の中で時間をもてあましている訳でもないのに、愛犬をモデルに、ピーターラビットのような漫画を描いてみたいとの、新たなテーマが沸いてきました。愛犬と接する時間が長くなり、より愛着がわいてきたのでしょう。そして愛犬のデッサンを少し始めました。また、我が家の近所に指導付きで貸し農園をしている農家があり、近々そこに参加する積もりでおります。勿論これまでに描いていたテーマをやめている訳ではなく、それなりにゆっくりと進んではいるのです。次々としたいことが出てくることが、健康の一つの指標だと思っています。

2008年8月4日月曜日

愛おしい子供達の理科教室


小学生三人組


決して飛ばさないジャンボジェット


今年の新作:クラッシック

 子供達が、色々ある中から選ぶ紙飛行機は、その子が作るには少しい傾向がある。しかしそれを作り上げたとき、その子の苦労が大きい程、子供の笑顔は輝く。苦労して何かを成し遂げる成功体験は子供に自信とやる気を育み、成長の糧になっているに違いない。またその笑顔には周りの大人も元気づけられる。 工学院大学の理科教室には、2001年の夏から「紙飛行機」で参加するようになった。8年前のことだ。工学院大学は、子供達の理科離れを防ごうと、毎年8月下旬の土日にこの催しを始め、今年は15回目になる。 誇らしげに紙飛行機を前に抱いて、ポーズを取っている子供達のデジカメの写真が何枚かあるが、どれも魅力的だ。その中で、私が特に気に入っている写真がある。2年前の写真で、手にしている黄色い紙飛行機には「れおくんゴー」と描かれている。まだ幼稚園児の様だが、誇らしげで嬉しそうなその子の表情は実に愛くるしい。そのため長い間、私はその子が女の子だと勘違いしていた。名前とTシャツの骸骨の図柄から、男の子だと他の先生から指摘されて気が付いた。残念ながらその写真をここで紹介できない。連れのお母さんにWeb利用の許可を取っていなかったことが悔まれる。もしこのWebを見られたら、是非ご連絡を頂きたい。

 あるとき小学校3年生位の3人組の子供が、理科教室の「紙飛行機」にやってきた。約10種類ある紙飛行機の中から、3人とも作るのが一番難しい「ジャンボジェット」を作りたいと言う。私はこの子達にはジャンボジェットは無理だと思い、既に紙から全ての部品を切り取って、後は接着剤で組み立てるだけになっている他の飛行機のセットを特別にあげるからそれにしなさいと勧めた。一人の子は少し考えてから、私の提案に同意した。それでもその子は簡単にその紙飛行機を作れた訳ではなかった。しかし他の二人は、「ジャンボジェット」に固執し、可成りの時間を掛けて、やっとの思いで作り上げた。3人とも大いに満足して帰っていったが、しばらくして、紙飛行機の2階の会場から中庭で遊ぶその3人を見つけた。3人とも自分の作った飛行機を振り回しながら、しかし大事そうに持っていた。その内、一人の子が飛行機を投げたけれど、何時までもただ振り上げるだけで、決して投げない二人の飛行機は「ジャンボジェット」だったのだ。二人は飛ばして見たいとの強い気持ちを持っていた筈だったけれど、飛ばしたら、どこかに当たって壊れるかも知れない心配で、飛ばせなかったのだろう。それほどに、紙飛行機に思いを寄せてくれた子供達が本当に可愛い。

 理科教室に参加するようになってから、Webで様々な紙飛行機があることを知るようになった。それには、実物そっくりで滑空をしない紙の模型と、滑空時間を競う競技用の平らな胴体をした紙飛行機がある。私の紙飛行機はその中間のもので、競技用の紙飛行機ほどではないが良く飛び、しかし立体的な胴体の紙飛行機である。A3の一枚の厚紙に一機分の紙飛行機の全ての部品が印刷されており、それを切り抜いて組み立てる。理科教室への参加を誘われたとき、喜ばれるテーマは、お土産を持ち帰れることと、できたらそのお土産が、子供の夏休みの宿題の足しになることだと聞かされた。昔の子供の雑誌には、良く紙の工作が付録に付いていた。そのイメージで自分の専門とは関係なく、この様な紙飛行機を始めた。そして、いろいろな紙飛行機をデザインするためにWebで飛行機に関して調べる様になった。そのお陰で、それまで気付いていなかったり、思い違いをしていた様々なことを知る切っ掛けになった。例えば、飛行機の主翼の断面の形が揚力を作る理由について、私が子供の頃に聞かされていた説明は実は誤りであった。また主翼の細長いグライダーや旅客機は、水平尾翼は小さくても良いが、垂直尾翼は大きくなくてはならないことなどである。子供達に楽しんで貰おうとしていることで、私も結構楽しんできた。 今年度を最後に私は定年を迎えるので、今年の夏の理科教室は最後の参加になる。今年の新作を加えると13種類の紙飛行機が揃った。

2008年5月4日日曜日

Jet Stream(工学院大学バージョン)


昔FM深夜放送で良く聞いていたジェットストリームを、
実際に受信した放送の録音を手に入れる機会がありました。
胸が震えるほど、懐かしさを感じました。

これに重ねて、
工学院大学の高層ビルから眺める夜の景色の
ナレーションを作りました。
パクリではなく、パロディーのような新しい創作と、
本人は粋がっております。

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『ビルの輪郭が消えて
深々とした夜の闇に街が覆われるとき、
はるか高層の、ビルから眺める地上の銀河は、
たゆみない人々の営みを告げています。
砂粒のような窓明かりを散りばめた、果てしない東京の街を
ゆったりと見渡す この景色に心を開けば、
光の数ほど、人生の多さが伝わってくる
無言の夜景の何と饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えて行った
遠くのビルの輪郭も瞼に浮かんで参ります

夕方から高層ビルの角に点滅する赤いランプは
夜が深まるにつれて次第に、
ビルの輪郭を現す星座のようになります。
今、目の前に広がっている全ての明かりの下に
限りない幸せが訪れますように。』


ジェットストリームのナレーションは下のURLで
見ることが出来ます。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/nyanko/jetstream_top.htm