2013年6月23日日曜日

牛蒡の花


出来たばかりの都道
 
薹が立ったゴボウ

トミー倶楽部体験農園

ゴボウの花

ゴボウの花のアップ

大根の花

人参の花

キャベツの花

リーフレタスの花

 ある晴れた日に、自宅近くの広い畑に面した立派な通りを、私は愛犬を連れて散歩していた。その道は、片側2車線、歩道と自転車道が別れていて、街路樹も整っている。完成してから日も浅いので、人通りも、自転車や自動車も少なく、ユッタリと歩ける気持ちの良い道である。

 前を歩いていた老夫婦のご主人が畑の方を指さして、「あれはゴボウだよ。もっともあんなに大きくなってしまっては、地下のゴボウは食べられたもんじゃないがなぁー。」と、奥さんに話し掛けているのが聞こえた。畑の一角に、まだ花は咲いていないが、立派な花芽を沢山つけた背の高い植物が、灌木のように植わっていた。私は、大根や人参、キャベツまでもが、収穫をせずに育てると、薹(とう:花芽を付ける茎)が伸びてきて、菜の花のように花を咲をかせることを知っていた。しかし、ゴボウはその形状が似ている山芋のように、芋で増える植物だと思い込んでいたので、ビックリした。確かにゴボウは芋のような澱粉質の食感ではなく、寧ろ大根や人参に似ている。そのゴボウは、後日アザミに似た紫の花を咲かせた。

 茎と、茎から生えている上の方の葉っぱを無視して、地面近くの葉っぱだけに着目すると、一昨年の春に作付けしたゴボウの葉っぱに似ている。そしてゴボウを植えたのではなく、人参と同じように種を蒔いたのを思い出した。実はこの広い畑は「トミー倶楽部」と言う体験農園である。私は3年前からここに参加して、今年は4年目になる。ここは、指導付きで、野菜作りを体験できる。様々な農具、種や苗、その他、堆肥や化学肥料も用意してあって、何も知らなくても、始めた年から立派な野菜が収穫出来るのが嬉しい。参加者は東西に約10メートル、南北に約2.9メートルの区画を分けられ、南北方向に作った約10の畝に、それぞれ同じ野菜を育てる。それが全部で約110区画もある。作付けの計画は、連作を嫌う野菜があり、難しいらしいが、園主(農園経営者)が考えてくれる。この畑では、整然と同じ野菜を規則的に作っているので外観が綺麗だ。しかしよく見ると、同じ条件で育てている筈なのに、微妙に出来不出来があって面白い。

 その園主が偶然にも、やはり愛犬を連れて散歩しながら、反対側からやってきた。私はこの植物を確認したくて、弾む気持ちで質問すると、「そうです。これはゴボウです。」と答えて、さらに「皆さんに見て貰おうと思って、収穫せずにそのままにしておいたのです。」とのこと。その瞬間、ある確信が突然に込み上げてきた。少し大袈裟かも知れないが、既に色々と分かっていることが一つにつながって、普遍化した全体像を実感として理解出来た瞬間である。

 それは、言ってみれば当たり前のことなのだけれど、食用植物の収穫時期は先天的に決まっているのではなく、美味しいと感じる時期を人が収穫時期と決めているということだ。私はそれまで、最適な収穫時期は自然現象として決まっていると感じていた。果物や芋類を考えて見ると、果物は動物に食べられることで種族の維持を図っている。その果実の中の種が熟す時期に目立つように色付き、甘い香りを放ち、動物にその存在を訴える。山芋、サツマイモ、じゃが芋などは、次に育つ芽の栄養分を芋として蓄え、種の保存を計る。地上の茎や葉が枯れてから、つぎの芽が成長を始める前に芋を収穫すれば、美味しく食べることができる。植物の一世代の終わりや、一シーズンの終わりが食べるのに適した時期であることが普通で、筍(タケノコ)や、野草の蕗の薹(フキノトウ)や、モヤシなどは、数少ない例外だと思っていた。

 ところが、例えばキュウリは成長が早くて、放っておくと、苦みと酸味の強くて、中には堅い種が入った黄色い実になるそうだ。我々が食べるキュウリにも種はあるけれど未熟で柔らかく美味しい。植物の実としては未だ熟れていない実なのだ。大豆は熟した種であるが、未熟な内に収穫し、簡単に茹でて、柔らかい豆を食べるのを枝豆と呼んでいる。それに適した品種改良が施されてはいるだろうが、当然ながら、枝豆は収穫時期を遅らせれると、もとの大豆になる。大根、人参、レタス、キャベツなども、放っておけば直ぐに薹(トウ)が立ち、堅くて美味しくなくなる。体験農園に参加して、それらの花を見る機会もあり、また収穫時期を過ぎて堅くてひび割れした人参等を掘り起こしたこともある。それでも、植物として熟成する前に収穫して食べるのは例外だと思っていた。しかしゴボウまでもが、薹が立つ野菜であり、花が咲くより可成り早い時期に収穫すると知った瞬間に、やっと私はどちらが例外であるかに気付き、人が収穫時期を決めていることを深く実感した。振り返ると、農園の講習会の話を聞いているので、もっと早く気付くべきだと思った。キュウリ、ズッキーニ、レタス、枝豆など、多くの野菜に関し、園主は常に八百屋の野菜より少し早めの収穫をし、そのため収量を少し減らしても、美味しい野菜を食べることを勧めてきた。農園に参加したからこそ出来るそのような贅沢を味わって欲しいとも言われた。

 私がこの体験農園に参加した動機は、農作業が好きだったからではない。美味しい野菜が食べられることは参加してから実感したのだし、運動不足を少し補うことになるのは付随する結果であって、目的ではなかった。その畑には、講習会のために作られた大きなビニールハウスがあり、その中で楽しそうに飲み会をしている元気な老人や若者の集まりが魅力だった。また現役時代、私は自宅には寝に帰るだけで、ご近所や地域の方々との付き合いは殆どなかったが、そのような機会が持てることの期待もあった。参加している農園の方々からも、そのようなことが動機だと聞くことがある。しかし現役のときには、農園に参加するための時間を取る自信がなかった。

 動機はともかく、わたしが農園に参加して最も満足していることは、この収穫時期のように、今まで意識していなかったことに気が付くような、そんな瞬間に出会うことである。わたしがこの農園で得た知識は、全て体験がベースである。講習会で教わったことは、全て体験して実感する。また農園で体験したことから気が付いたり、あるいは体験に基づいた自分の推測を園主に聞いて確認して知識となる。素晴らしいシステムだ。3年前の最初の講義で、野菜が育つための重要な3つの要素は、水と光と空気だと教わった。畑を平らにして水捌けを良くし、日当たりが良く、そして風通しの良いことが、野菜にとっては重要な環境の条件である。もし、水と光と言われた後で、3つ目は何かと聞かれれば、普通は肥料と答えたくなる。しかし今では、何故空気なのかが、実感として分かる。トマト、ズッキーニ、キュウリなどは、地面近くの葉っぱが重なり合うと、風通しが悪くなり、病気にやられたり、虫がつき易くなる。トマトは全ての脇目を摘んで、全体の風通しを良くする必要がある。今年の私のズッキーニは調子が良い。しかし、ズッキーニは過去3回の内、2回も、途中で病気にやられた。小さな実の付いた花芽が勿体なくて、キュウリの下の方の脇目を少し長めに延ばしてしまうので、私のキュウリは今年も風通しが悪く、葉っぱの変色が気になる。新しく蒔いた野菜の種は、芽が出始めたときに、鳥に狙われるので、何かで覆う必要がある。また野菜の世話にあたっては、最初から農薬の知識も欠かせない。農薬はタイミングを選んで、適切に施せば、少ない農薬で大きな効果が得られる。そして農薬には、葉や茎の表面を保護したり丈夫にして病気予防をするものと、細菌に対する消毒薬と、虫を退治する殺虫剤など、3系統のものがある。殺虫剤は毛虫や芋虫には効くが、卵には無効だ。卵がかえるまでの時間を考えて、殺虫剤の使用は1週間間隔で2回は散布する必要がある。これらの作業や体験を始めて、畑に関する色々ことが分かってから、あるとき、「畑は戦場だ」という認識に至った。野菜と競合する他の植物としての雑草は、人がこまめにこれを摘み取る。人が収穫時期の野菜を獲得するには、様々な敵と対峙する必要がある。他の植物、細菌、虫、及び小動物である。畑で展開されるのは、これらとの生存競争である。関連する様々な知識から、より抽象的な認識に到達する瞬間は楽しい。